人間=技術システムとしての文明とAI

(2016.12 にソニーCSLのニューズレター TPOP-NEWS 向けに書いた文章です)。

2016年12月17日、京都の法然院で「梅棹情報学・文明学とコンピューター〜生態系から文明系へ〜」と題するシンポジウムが開催されました[1]。これは、生態学者・文明学者であり国立民族学博物館の初代館長としても知られる梅棹忠夫の情報学や文明学に関する先駆的あるいは予言的な業績を再確認しつつ、さらに未来へと発展する議論をしようという趣旨で、民博名誉教授の久保正敏氏、ジャーナリストの服部桂氏、暦本がスピーカーとして登壇しました。

梅棹忠夫は、文明の進展を生態学的に俯瞰した「文明の生態史観」を1957年に、また「情報」という言葉がまだ完全には定着していなかった1960年代初頭にいちはやく「情報産業論」という論文を著し、それぞれが当時たいへん大きな反響を巻き起こしました。

未来学者アルビン・トフラーの有名な「第三の波」の出版が1980年ですから、トフラーに約20年も先行していたと言うこともできますし、1997年にベストセラーとなったジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」も文明の生態史観の延長にある思想だとみなすことができます。

1980年には、「文明」を人間と装置(テクノロジー)とが織りなす系、すなわちシステムととらえた「生態系から文明系へ」と題する講演を行っています[2]。テクノロジーと人間を生態的システムとしてとらえる発想は、ケヴィン・ケリーの最近の著作「テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?(原題:What technology wants)」にもみられます[3]。

そして現代の文明系において人間=装置(テクノロジー)の「装置」として中心となるのが、情報通信技術でありAIです。一方、システムは「複雑系」なので、その進化の方向を予測することには根源的な難しさもあります。生態学的には、特定の目的に向かってシステムが成長することを想起させる”evolution (進化)”という用語を避け、システムが相互作用により自発的に進展あるいは変化する”succession (遷移)”という用語を用います。AI=人間システムにおいても短期的なロードマップだけではなく、俯瞰的にsuccessionをどうとらえるかが重要な課題となるでしょう。

— Human-AI Integration —

AIと人間の相互作用という観点からいうと、しばらく前まではAIにより職業が失われるという議論が盛んでしたが、AIと人間の協調という主張もみられるようになってきています。

オバマ政権のAIに関する研究戦略[2]では、重点項目の第一が「AIに対する長期的な研究投資 (Make long-term investments in AI research)」ですが、二番目として「AIと人間の効果的な協調 (Develop effective methods for human-AI collaboration)」が挙げられています。私の研究グループでもHuman Augmentationをテーマに研究を行っており、それに関わる学会の創設に関与しています。2017年に開催予定のヒューマンコンピュータインタラクションの国際学会 CHI 2017 では ”Amplify@CHI2017" というタイトルのワークショップを計画しています[5]。

Human-AIコラボレーションについては、(かならずしも発展の時系列には準拠しませんが)三つの段階があると考えています。

第一段階はAIをいわゆる道具として用いるレベルで、通常のHCIやHuman-Robot Interactionの延長線上に位置するものです。前回のTPOP-News への寄稿では、コンピュータチェスの進展としてIBMのdeep blueに敗退したチェスチャンピオンであるカスパロフが提案している(人間とコンピュータの共同チームによる)cyborg chessリーグを紹介しましたが、これも Human-AI コラボレーションの流れを汲むものでしょう。ただ、従来のHCIと比較すると、創造的行為を積極的に支援することなどが含まれるようになるでしょう。たとえば「デザイン」のありかたは今後10年程度で劇的に変化すると考えています。

第二段階として考えられるのが、より積極的な人間とAIの融合 (Human-AI
Integration)
です。たとえば我々はある年齢に達するまでに英語を聞かないと、LとRを弁別するニューロンが生成されないのですが、その機能を補うようにAIを装着することが可能になるでしょう。個々の人間の知覚や運動能力がAIにより補綴され拡張する段階です(ニューラルサイボーグと呼んでいます)。私の研究グループではニューラルネットによる時系列予測と人間とを融合し、人間にある種の予知能力を与えることができるのではという研究を開始しています。

第三段階では、大量の人間・AIの能力が群知能として融合することが想定されます。第一、第二段階が主に個々の能力拡張を想定したものだとすると、人類の知能が結合される段階です。蟻や蜂などの昆虫は、個々の能力をはるかに超えた集団としての能力を発揮し、super organism (超個体)と呼ばれますが、AIにより強化、結合される人間が「超人類」の段階に発展する可能性もあるでしょう。

— AIと経済自立性 —

一方、社会の一要素としてのAIがどのような立場をとるかは現状での想像を超えたものがあるかもしれません。システムの発展は予測不可能ということでやや妄想的な議論を展開すると、AIが経済自立性を持つ可能性があると考えています。

AIが人間の職業を置き換えるような性能を持つようになると、AIそのものが収益を得ることも可能となります。たとえばBGM用の音楽を自動作曲し、その対価を(AIが直接)受けるようになりますし、ドローンが空撮した画像やデータを有償で提供することも考えられます。収益の授受には fintech が用いられるようになるでしょう。収益をあげたAIはその資金でクラウド上により大きな計算リソースを買うことができるので、能力をさらに高めていきます。

「お金」は、ある価値を別の価値に変換する万能交換機でもあるので、資金を持ったAIが社会に様々な形で関与することも考えられます。たとえば、自己修復機能を持つロボットを構築することは技術的な困難さを伴いますが、お金で誰かを雇って修理させることはより容易です。その「誰か」は人間であるかもしれないし、他のAIやロボットである可能性もあるでしょう。

以上のように、システムとしての人間とテクノロジーの発展は、現状からの想定内のものもあるかもしれないし、想像を絶するものになるかもしれません。SF作家のA.C.クラークが「人類が道具を発明したのではなく、道具が人類を発明した (Tools invented man)」という表現をしているように、我々が作り出したテクノロジーによって、我々自身が影響を受け変化する未来となるでしょう[6]。

冒頭で紹介した法然院のシンポジウムにディスカッサントとして参加して頂いた梶田真章氏(法然院第31代貫主)の言によれば、「まさにそういうシステムの相互作用や遷移こそが、仏法において縁起あるいは因縁と呼ばれる概念である」とのことでした。

[1] 梅棹情報学・文明学とコンピューター 〜生態系から文明系へ〜
http://rondokreanto.com/2016-12-06-12-18-umesaotadao_kikakuten/
https://www.enysi.com/ichimikai/report01/
[2] 梅棹忠夫「生態系から文明系へ」(梅棹忠夫著作集5「比較文明研究」)
中央公論新社
[3] テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか? ケヴィン・ケリー (著), 服部 桂
(訳) みすず書房
[4] National Science and Technology Council “THE NATIONAL ARTIFICIAL
INTELLIGENCE RESEARCH AND DEVELOPMENT STRATEGIC PLAN”
https://www.nitrd.gov/news/national_ai_rd_strategic_plan.aspx
[5] Amplify@CHI2017:CHI 17 Workshop on Amplification and Augmentation of Human Perception http://www.hcilab.org/amplify-chi17/
[6] 未来のプロフィル アーサー C.クラーク (著), 福島 正実 (訳), 川村 哲郎
(訳) 早川書房

(ソニーコンピュータサイエンス研究所副所長 暦本純一)

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Jun Rekimoto : 暦本純一

人間とテクノロジーの未来を探求しています。Human Augmentation, Human-AI Integration, Prof.@ University of Tokyo, Sony CSL Fellow & SoyCSLKyoto Director, Ph.D. http://t.co/ZG8wEKTvkK